松下幸之助氏に学ぶ――風水よりも大切なこと
家を建てるとき、誰もが「良い場所にしたい」「運のいい空間にしたい」と願うものです。
中には家相や風水に詳しい人に相談する方もいれば、自ら本を読み、吉凶を調べる人もいます。
ですが、私がふと立ち止まって考えたのは、「本当に運を呼び込む家とは、風水のルールを守った家なのだろうか?」という問いでした。
ならば、実際に運や成功を手に入れた人たちは、どんな風に土地を選び、どんな空間をつくり、どんな思いでその場に暮らしていたのか。
それを紐解くことこそが、本質的な「開運」や「家相」の学びにつながるのではないかと思ったのです。
そんな視点から、今回は“経営の神様”とも称された松下幸之助氏の生き方に触れてみたいと思います。
彼の言葉や行動の中には、どんな書物よりも深い「風水の真理」が息づいているように感じるのです。
鬼門に立ってこそ
かつて松下氏は、大阪・門真の地に工場を建てることを決めました。
しかし周囲からは、「その方角は鬼門だからやめておいたほうがいい」と忠告があったといいます。
それに対して松下氏は、こう答えました。
「鬼門で大成功して、迷信を打ち破ってやろうじゃないか」
その言葉どおり、彼はその地で事業を拡大し、誰もが知るパナソニックを築き上げました。
迷信よりも、土地を愛し、そこで働く人を大切にする心が運を招く――松下氏はそれを直感で知っていたのでしょう。
汚れた便所に学ぶ、運の磨き方
ある年の暮れ、社内の掃除の話が出たとき、トイレ掃除を嫌がる社員たちを前に、松下氏は一言こう言いました。
「便所は皆が使うものや。それを掃除するのに、理屈なんかいらん」
そう言って、彼自らが便所掃除に取りかかったのです。
どんなに立派な経営者でも、どんなに頭の良い人でも、「当たり前のことができない人間はあかん」――
掃除を通して心を整え、場を清めるその姿勢は、まさに風水の基本を行動で示していたように思えます。
感謝の心が呼ぶ静けさ――高野山に祈る
松下氏がたびたび訪れたのが、和歌山の高野山。
あるとき彼は、亡くなった従業員の慰霊塔と自らの家族の墓碑をこの地に建てたいと願います。
「心が引かれた場所に、感謝を込めて祈りたい」
その気持ちから生まれた供養の場。
先祖を想い、亡き人に手を合わせる――これは風水でいう“場を整える”ことにも通じます。
掃除と供養、感謝の心。彼の行動は、自然と「気を清める」ことに向かっていたのです。
運とは、与えられるものではなく
成功者に向かって「運が良かったですね」と言うのは、たやすいことです。
けれど松下氏は、運についてこう語っています。
「商売がうまくいかないのは、運でも時代でもない。
やるべきことをやっていないからや」
運や風水を語る前に、まずは人として、経営者として、やるべきことをやる。
その先に、ようやく“運”というものがやってくる。
彼の言葉には、そんな厳しさと優しさが滲んでいます。
心の宇宙をかたちに――真々庵の庭
京都にある「真々庵(しんしんあん)」という茶室。
そこには、松下幸之助氏の哲学が静かに息づいています。
日本建築の美、禅の思想、そして自然と一体になろうとする庭の佇まい。
この庵の名には、「真理を探求する場所」という意味と、「しんしんと静かな空気感」という響きが込められています。
彼が庭や建築を通して表現したのは、自我を超えた“素直な心”。
宇宙のすべてに身を委ねる、謙虚で深い感覚だったのではないでしょうか。
すべては「素直な心」から
松下氏が一貫して大切にしたのは、「素直な心」で生きることでした。
「一切を許し、物事の本質を正しく見て、その価値を認める心。
逆境に卑屈にならず、順境におごらない。
それが素直な心や」
風水とは、何かを信じて頼ることではなく、
自分の心を整えること、そして今あるものに感謝すること。
松下氏の生き方は、そんな教えを静かに語りかけてくれるようです。
書籍紹介
- 『素直な心になるために』松下幸之助 著(PHP研究所)
- 『松下幸之助 散策・哲学の庭』江口克彦 著(PHP研究所)

画像:真々庵